2020年4月4日土曜日

守られる聖域

まだ、小さかった頃の話だ。


私はとにかく“ちいさな世界”が大好きだった。


昔のシルバニアファミリーは、材質が今のようなプラスチック製じゃなかったから
それはそれは胸が躍った。

西洋風な食器棚やタンス、階段、木枠の窓もオシャレだった。



お祭りの日の露店で、運が良ければ買うことが出来るガラス細工も胸が躍った。

鶏の親子とアヒルの親子、熱帯魚やちょっと不細工なブタ。

龍に青と赤のカニ。

ちょっとずつ集めては、勉強机の一角に世界を創った。

それぞれの場所にそれぞれの仲間を集めて、綺麗に並べて眺めたものだ。



未だに私は、細々したものが大好きだ。

小さな世界にめいいっぱい、物語を詰め込む。

聖域のような場所を、あちこちに作るのだ。



こんな些細な趣味にも及ばないことを、

大切にしていこう。

多分、私が守らなくてはいけないものは、

こうゆう小さくて気を抜いたらすぐにでも忘れてしまうものたちだ。


人それぞれに、必ずある

自分の中の、聖域だ。






















2019年12月23日月曜日

いつもの調子で

私は、私の道をいけばいい。


っというか、どうせ人は、自分の道しか歩けないのだから、

さっさと諦めて歩き出せばいいのだ。


人と違うことを気にしたり、人と揃えようと必死になったり。

人を基準に生きることを、早々に辞めればいいだけなのだ。


こんなことを言うことすら、本当はもの凄く恥ずかしい。

だって、私の好きな人達は、みな自分に夢中で生きているから。

こんなにも人のことを気にして生きてしまっている私は、なんて狭い世界で生きてしまっているんだろう、と、ものすごく恥ずかしく、惨めな気持ちになる。


でも、気付けたら、気付けただけで全てが変わる。

変わっていこうと、頑張る自分は、好きなんだ。


散らかってたって、いいじゃないか。

進むことこそ、大切なんだ。





















2019年10月24日木曜日

どこか一カ所


人生という名の、広大なフィールドに

どこか一カ所、心の底からくつろげる場所があれば


人は、生きられると想う。




その“場所”は、今存在しなくとも、

過去、未来、どんな場所でもよいから

どこかに一カ所、ソレがあれば、生きて行けるんだ。




例えばそれは、




おじいちゃんが撫でてくれた、頭の感触とか

その時香っていた、つつじの甘い匂いとか

おばあちゃんの優しい眼差しとか

お母さんの膝枕の温もりとか

お父さんの人懐っこい笑顔とか




それは、誰だって、何だってよくて。



お肉屋さんのおじいちゃんおばあちゃんの優しさだったり

酒屋さんの面白い会話だったり

八百屋さんの威勢の良い声だったり



友だちと見つめ合い通じ合った瞬間の喜びだったり

夢中で魚を追う、真剣さだったり

胸を満たす、あの日の夕陽だったり




自分の人生の中に、

宝物はもうすでにたくさん在って



それは無限に引き落とせる貯金のようで

実は記憶は、億万長者だったりするのだ。




どこか、一カ所


たった、一カ所



それだけで、人の人生が変わるなら


一カ所くらいなら、

今居る目の前の人と一緒に、創造できると想うんだ。




愛に気付くまで、

愛は何度も、問いかけてくる。



愛はいつもそこで、

優しく、在り続ける。





今日というこの瞬間にも、


心憩える“瞬間”が、

世界にたくさん、産まれますように。




















2019年10月16日水曜日

表現は瞑想

自由な表現は

瞑想のように思う


世界を信用することは

自分を信用することだ


世界にまた優しくなれたら

自分にまた優しくなれる


私は表現を愛する

私は自由を愛する


それは

どこまでも広く広がる世界のお話

2019年10月10日木曜日

新しいターンに突入

昨夜、前の晩にたくさん仕込んでいたおでんが全滅した。


夜は冬の寒さだったから、油断して外に出してたからだ。



あちゃーーーーーーーってなって、チーーンってなった。





それから色々重なって、


あっという間に、まっくろくろすけになっていた。




たくさん考えて、たくさん動いていると思っていても、


現実が何も変わっていない空しさよ。。。


っと、途方に暮れそうにもなったが、



私は今日も今日とて、生きている。







私の命を運営させるために

犠牲を引き受けてくれた命達のためにも




もっとやらな!!!

と、珍しくやる気本気モードに突入した、新しいターン。



ここから、どんな音色が産まれてくるのか


楽しみである。




2019年9月20日金曜日

手前味噌とはこのことか

手前味噌、なんて言葉

普段なかなか口にしないけど。


この場所の私の言葉は、

とても癒される。


これが、世に言う

手前味噌、か。


ならば、喜んでお味噌を仕込もう。

心から気持ち良くそう思うほどに、

自分の心から、まっすぐと溢れる言葉達が好きだ。



世界一周の旅を終えた旅人が、

自分の生まれ育った土地に帰ってくるかのように

ここ数年、ずっと旅をしてきたが、


やっと今、

自分がはじめに居た場所へと帰ってきた。


世界をぐるりと見渡して、

色んな音を聴き、

色んな価値観に触れ、

やっと、私は私の場所へと舞い戻ったのだ。


不思議。

とても不思議な感覚。


でも、私は自分にとって最高に居心地の良い場所を

本当は、知っているんだ。


外側に対して強く表現してきたものは去り、

内側に響いてきたものだけが残る世界。


嵐の後にある、目の前のキラキラした世界が、

今日も私を癒してくれる。




















2019年9月5日木曜日

ひょうたみさん

元気だろうか。


4年前?5年前?


浅草の、あの空間で

ひょうたみさんの唄を聞いた。



私は未だに、

海や空や空間を浄化したい時、

祈りたくなった時、

ひょうたみさんの唄を、口ずさむ。




この場所が

愛に、愛に、

満ち満ち溢れますように。。。


この魔法の唄は、

ホ・オポノポノのように

効果覿面で、

目の前の“今ここ”を癒す。




ライブへ行った4、5年前の私は、

赤ちゃんを産み、初めて夜に1人で外出したのだ。


赤ちゃんといっても、息子はもう2歳くらいで、

いつでも出れたはずなのに。



あの夜のひと時の外出は、

ふわふわしていて、夢の中みたいで

肩にのっていた、重い重い漬物石をどけられたような体感で。



嫁も、母も、妻も

よくわからない肩書きみたいな在り方を、

置いてこられた、体験だった。



浅草で、大好きな仕事をし、

楽しいお客さんと日々出会い

旦那さんとも出会った。



旦那さんとの初デートは当たり前に浅草寺参拝だったし、

父と母が家庭をつくって初めて暮らした土地も浅草だ。


その所以で私の本籍地はずっと雷門の住所だったし、

浅草を思うと、ご縁が深くてめまいがしそうになる。



でも、間違いなくあの場所は

私にとっての大事な場所で、

沢山の“私”にとって、大切な場所なのだ。



今は、中国なのか日本なのかわからないくらい

中国人ばかりが歩いているけど、

それも、10年後はどうなっているのか

わからない。



そうやって、時代は変わり

でも、変わらずに在り続けるのは

その土地を愛する、純粋な恋心だ。




ひょうたみさんのチャントを聞いて、

心の奥が震えた。

来週、やっと

古典フラのチャントを習いにゆけることに。



私に、あの魔法は使えるのだろうか。

考えただけで、身震いしてしまうな。




なんのご縁か、

私はひょうたみさんと同じタイミングで、

山の中へと引っ越しをした。

畑を耕し、庭をつくった。



まだ、東京に住んでいて

酸素が足らない金魚みたいに

あっぷあっぷで生きていた頃。



偶然見つけたひょうたみさんのブログをみて

強烈に思ったんだ。


「なんで、私はココにいないんだろう」


宮古島の、溢れる豊かさを映した写真たちは

色濃く生命に溢れている写真たちは

真っすぐに、純粋な光となって

私の胸を、簡単に貫いた。



あの時の音を

いま

なぜか、思い出す。


あの時の光を

いま

なぜか、思い出す。




あそこに、私がいるんじゃないか。

あそこに、大好きな私がいるんじゃないか。



思い返すと、わかる。


私は“わたし”を探し始めた頃から

“わたし”を失い始めたことに。



純粋な、心の反応をみて

私は、心を満たしてきていたんだ。



いま、理想に描いた山暮らしをし、

いつの間にか、傲慢になっていた心に気付く。


あさましい

はずかしい


穴があったら入りたい、とはこのこと。



自我を捨て、


真我を生きよ。



これに、尽きる。