2019年5月26日日曜日

働く、ということ

働く、ということ。



定義は人それぞれだが、


私の中の【働く】は、その対価として現金を受け取ること。


それが、絶対条件だ。




主婦をしてても、労働に対する対価、ではない。

そもそも旦那さんの給料を預かる、という

なんとも愛情保証的なあやふやな部分がある。

それはさておき。



私は、息子を妊娠した7年前から

仕事という仕事をしていない。


今もなお、布ナプキンのお店をやってはいるが、

お客さんというお客さんはそんなに来ず、

売り上げもほんのわずか。

無い月だってあるくらいだ。

(宣伝らしい宣伝をしていないから、当たり前なのだが)




自分の時間を切り売りするパートをやれば、

時給1000円×5時間で、日給5000円はもらえる。

日給5000円×週三日の労働で、週給15000円だ。

それが4週だから、6万円。



私の人生の月、水、土曜日の10時〜3時までを売りに出せば、

月に6万円貰える。



労働の対価、として。







そろそろいい加減、自分の収入が欲しい。

だけど、やっぱりどんなにパートの検索をしても、

身体も心も、雇われたくない!と叫んでいる。



自分ビジネスを本腰入れてやれば、

それくらい、すぐに稼げることを、身体は知っている。


一時間に、一枚の布ナプキンを売れば、

私は雇われなくて済むのだ。



人に気を使い、立ちっぱなしで足をむくませることもせずに居られる。



【私】を、護ろう。

そして、【私】を出してあげよう。

もっと、生き易くしてあげよう。



私が動けば、私は輝くことを知っている。


あとは、やるだけ、なんだ。


頑張れ!!私!!!