誰もいないこの場所が、一番楽に呼吸するように言葉が出てくる。
一体、誰の何を気にしてんねん!って話だよね。
だって、この世界には、本当の意味では"わたし"しかいないのに。
誰の目線を気にしてるんだか。
誰かに届けよう!!って思うのももはや、それすらも重いかもね!
軽やかに、軽やかに。
いきまっしょい!
誰もいないこの場所が、一番楽に呼吸するように言葉が出てくる。
一体、誰の何を気にしてんねん!って話だよね。
だって、この世界には、本当の意味では"わたし"しかいないのに。
誰の目線を気にしてるんだか。
誰かに届けよう!!って思うのももはや、それすらも重いかもね!
軽やかに、軽やかに。
いきまっしょい!
セッション業を、本格的に始めようとしている。
でもね、まったくプロフィールが書けないの。
今日なんて、朝の9時かパソコンとノートを交互に睨みつけ、たった数行の言葉を紡ぐのに9時間経過しているありさまだ。
なんで、こうなったのか、その理由は明白で
私は今、猛烈に「プロフィールの正解」を探している。
私の登録しているライン@は、いかに効率的に読み手に刺さる言葉を紡いで、商品を売るか、みたいなコンサルの人ばかり。
あまりに"意図"がこってりすぎて胸焼けし、そのほとんどはブロック済みとなった。
いつからだろう?
こんなに、SNSが当たり前になったのは。
正解のいろはが固定され、テンプレートの誘い文句で溢れる世界。
人の心理を利用して、チカチカと眩しく「こっちを見てよ!!」と主張する明朝体たち。
そして、「30秒あれば人の心は掴めます」とドヤァと特徴的な順番で喋る、シンガポール在住の若社長。
なぜ、成功するとみんなこぞってピチピチのパンツをはきはじめるんだろうか。
あーーーーーーーーーーーーーーーーーー
こんな、誰一人として見てもいない場所ですら、自分の言葉が喋れなくなってしまっている。
いつの間に、私は自分の言葉を失ったのか。
怖いよ~怖いよ~
私は、私だったはず。
成功の哲学なんて知らなくても、心を込めて作った1000円の古着リメイク人形を買ってくれる人はいたし、
人に刺さる言葉のテンプレートを使わなくたって、私の言葉を拾ってくれた人は、いたんだ。
いつだって、一人から始まった。
だから、大丈夫。
インターネットとの初めての出会いは、兄のPCだった。
夜10時を過ぎると、ADSLだがなんだかのダイヤル式の音が隣の部屋にある兄の部屋から聞こえてくる。
ぴーーーーーーヒョロヒョロヒョロ
電話代が安くなる10時以降でないと気軽に繋げないインターネット。
でもそこは世界と繋がっていて、多くの人を魅了した。
私は当時中学生だったから、その魅惑の箱の可能性については未知そのもの。
そして何より、ちょっと触れただけで壊れてしまいそうで、なんだかおっかなかった。
デスクトップのスリープ画面は、当時大好きだった子供番組のウゴウゴルーガでおなじみのキャラクター"みかん星人"で、その画像を見たさに、意味なく兄の部屋を覗きに行ったりもしたっけ。
専門学生になると、バイト代をためて、一台のノート型PCを買った。
10万円の、ソフテック的なやつ。
そして、そこから私のSNS大航海時代が始まったのだ。
大航海といっても、もっぱら私の居場所はmixiだった。
趣味はPC、その時間の多くをmixiで過ごした。
当時付き合っていた彼氏は、フリーライターでPC仕事だったので、二人で並んでラッキーストライクを煙らせながら、たくさんの時間を過ごした。
SNSの過去記事を消したことは、特にこれといった後悔をしたことがないのだけど、mixiの日記だけは、消さなくても良かったな~っと、たまにふと物悲しい気持ちになる。
Instagramもアメブロも、今やつまらないただのテンプレ養殖場になった。
見たことのある写真、読んだことのある文体、そんな"売れるためのアルゴリズム"に満ちた場所は、心底つまらないし、反吐がでる。
あの、純粋な楽しみで満ちていた、心の充電をしてくれるようなインターネットの世界は、一体どこへ消えてしまったんだろう。
知らない人と繋がる歓び。それが当たり前になった悲しみ。いつでも誰とでも繋がれるから、目の前の人を大切にしなくなる。
そんな悲しく冷たい世の中になってしまったんだな、と、インターネットの世界を覗くたびにため息が出ていた。
だけど、久しぶりに、そんな暗たんとした気持ちを明るくしてくれたのは、noteだった。
もう一度、純粋な気持ちだけで、書いてみようかな。
そんな明るい気持ちが、ふわっと香ったのが、noteだった。
そして、この場所もまた、私の癒しだ。
もうさ、書き方の基本、とかどうでもいいじゃん。
誰が"基礎通り"のロックに胸を躍らすの?
誰が"お手本通り"の絵画に、涙を流すの?
いつだって、人を感動させるものは
枠からはみ出て、"通り"を外れたものたちなんだから。
さぁ、今こそ、枠を出よう。
私は、西加奈子さんが好きだ。
そして私は、小さい頃から、好きな人の真似をするのが好き。
っということで、昨日から私は、トニ・モリスンの『青い眼がほしい』を読んでいる。
西加奈子さんが、『まにまに』というエッセイでおススメしていたし、ヴォーグのYouTubeでも紹介していたから。
好きな人、尊敬する人がいつの日か感銘を受け、脈々と影響を受け続けているものがあるならば、見ない理由はないではないか。
そして、今、頭が最高に重い私がいる。
ふと目を庭にやると、ピンク色の可愛い花をたくさんつけた、大きな梅の木が2本あって、それはもう見事な、「春」という言葉を完璧に具現化した風景が並んでいる。
なのに私は、子供とも大人ともつかない、宙ぶらりんで不安定な年齢の子供特有の憂鬱をたっぷり吸い込み、黒人という人種を取り巻く、暴力的で排他的な空気の中で生まれてしまう悲しい景色を、どうすることもできない場所で見つめているのだ。
そもそも、そこまで本を読んでこなかった人生なので、アメリカ文学自体に触れたのが"長靴下のピッピ"以来だし、それを読んだのは小学校の時だった。
だからなのか、とにかく、言葉が重い。
モリスンの放つ世界観は、西さんがおススメするだけあって、それこそもう言葉にできないほどの濃厚さを持って、ジュー!っと言葉が胸に焼き付いてくるくらいの世界観だ。
そしてそこに、モリスンや登場人物達の、切実さや、自分ではどうすることもできない心情が、個体とも液体ともつかないくらいにふやけたオートミールのように、ドロドロに重く、ただそこに在る。
これが、文学的にどんなに素晴らしいかを語るには、あまりにも浅はか過ぎるので控えるが、"言葉の力"というものが、全人類に開けている大きな希望の光であることは、それだけはしっかりと掴んだ。
境遇も環境も、何もかもが違うピコーラと私が、分け隔てなく持っているのは、言葉を動かす力、だ。
言葉が、重い。
重い言葉には、たいがい「他人から、こういう風に見られたい」という欲求が含まれてる。
それこそ"想いが重い"なのだ。日本語って、よぅ出来とる。
今年は書く年にするぞ、っと密かに決意してもうすぐ一か月。現実を見ると何一つと進んでいない。チーン。
だけど、心の方はすくすくと根を生やし、健やかに根を張っている。はず。
目に見える世界にだけ重きを置いてきたけど、それはやめたの。
だって、つまらないから。
私は私のペースで進むし、自分を面白がろうって、決めたの。
今すぐお金になる、とか、そうゆう類の世界から一抜けぴして、今私が出来ることをコツコツし続けること。それしかできないし、それが出来ればいいんだと思うんだ。
こうやって話し言葉のようになら、言葉ってすぐにあふれ出てくる。
あぁ、なんだ、これでいいのか。
つまり、書くって最大の自己受容だ。こんなんじゃだめ、こんなんじゃ評価されない。そうやっていつの間にかガチガチに固まってしまう。
こんな私でも、私は丸ごと愛しているよ、そして愛し続けるよ。
そうゆう気持ちさえ心にあれば、私は自由に世界を飛べる。
安心して、自分を愛そう。表現の出発点は、いつだって自分を愛する心から生まれるのだから。
何事も、始めるのは簡単だ。だけど、続けるとなると、途端に難易度が上がる。そして、"やりきる"となると、もうそこには限られた勇者しか立っていない。全日本国民総出で威勢よくスタートラインを踏み越えたとて、"最後までやりきる"というゴールテープを切り、華々しいラストを迎えられる人は、入園制限中のディズニーランドの来客数くらいなものだ。
「空いてていいね~」だ。ほんと、最後までやりきれば「空いてていいね~」が味わえるんだ。でも人は、ディズニーランドへ向かう京葉線始発、東京駅の時点で相当数が電車に乗ることもせずに脱落する。勇気を出して乗車したものの、地下の暗さに耐えきれず八丁堀で脱落し、「これ、イケるぞ!」と越中島までは順調だった者も、数分足らずに「地上に出ても、工場ばっかじゃねーか!」と潮見で憤怒しながら脱落していく。ここら辺を過ぎた頃になると、ゴールの感触を少しでも早く味わいたいがために、新木場で下車し、夢の島熱帯植物館をゴール設定へと上書き変更する者まで出てくる。無論、本当のゴールではないので脱落だ。そこまで何とか耐えきり、荒川の橋を悠々と渡る猛者たち。車内を見渡すと、自分なりに移動の楽しみを見出したもの、エアポッドから流れる音楽に夢中なもの、吊革を掴みながらミッキーマウスマーチを唱えるものなど、心の道のりは千差万別。しかしそんな猛者たちが悠々と荒川を渡りきる時、思わぬ敵と対峙することになる。舞浜直前の大難所、葛西臨海公園駅だ。大きなネズミのカップルも、はちみつの香りがする黄色いクマさんもいないけど、ここには砂利のような砂糖粒をたっぷりまとったカリッカリのチュロスがある。水槽の中でタートルが饒舌なトークを繰り広げたりはしないけど、奄美大島で養殖された見ごたえ抜群のマグロが