2019年3月23日土曜日

それはとても孤独な場所。

今週は、5日間家族に会ってない。


ただそれだけで、今の私は虚無感がすごい。




いやだな、って思った。



誰かがいないと成立しない人生なんて



いやだな、って思った。




12歳の冬、両親が離婚した。



子ども4人は、母と一緒にアパートへ引っ越し

猫3匹と、膨大な想い出の品々は

父と一緒に、家族が一緒に暮らしていた家に残った。



元々離婚の原因が父のお金や無責任な言動にあったので、

家賃15万円の家には住み続けることが出来ず

父もすぐに、東京の反対側にある小さなアパートへと引っ越した。




昨日、一人きりの家で

ぽっかりと何するわけでもなく過ごしていたら

自分の存在意義がぼやけてしまって。



いつの間にか、

子どもと旦那さんのお世話をするのが一番の仕事になってしまっていて


自分自身が今一番やりたいチャレンジは、

ストーリーが全く浮かばず、このままではもう間に合わないと絶望し

何も出来ず、何も達成出来ないでここに生きている私は

一体、なんのために生きているんだろう、と空しくてたまらなくなった。



この、悪魔のささやきにも似た虚無感の音色は、

子どもやパートナーがいると、その綺麗で充実した音が大きく響き

すぐにかき消されてしまう。

だけど、それはずっと鳴っているんだ。




あの日、私たちが住む家の方角を橋の上から眺めていた父には、

この残酷なまでに澄み切った虚無感の音色が、大きなベルの音のように聴こえていたんではないだろうか。



自分は一体、なんの為に生きているんだろう。

絵本が描きたいのに、まったく描けないんだ。

自分に感じた無限の可能性は、ただの白昼夢か。



笑い合い、励まし合う一流のクリエイター達。

彼らもまた、こんな孤独な作業を繰り返してきたのか。

でも、彼らには、才能がある。

自分自身に、深く潜る才能が。

そしてそれは、自分にも充分あることを知っている。

あるのに使えてないという、不甲斐なさ過ぎる現実がただここにあるのだ。



才能は、あるほうが残酷だと思った。



使い切れずに持て余した才能は、腐るのも早い。

ただ、楽しめばいいだけなのに。




お父さんが、死ぬ前に彫っていた版画が見たいな。

どんな絵を、どんな線を、彫っていたんだろう。

お父さんの創作は、きっと私が思っているような創作じゃないかもしれない。

だけど、お父さんが残した言葉のどこかに

お父さんが見つけた“真実”がまぎれているような気もするんだ。





よーーーーーーーーーーーい



どん!!!










































2019年3月15日金曜日

疑似体験

人は、なぜ物語を読むのだろう。

人は、なぜドラマを観るのだろう。

人は、なぜ

自分以外の人生なのに、涙を流すことが出来るのだろう。




この世に生まれてきた、唯一の理由。

それは

“わたし”とは、何か

を、体験を通して学ぶためだ。



そのために、陰陽の完璧なコントラストが存在する

地球に生まれてきたんだ。



“わたし”は、他人を通してしか

“私”を知ることが出来ない。



私とは、

元々【大いなる源】であり

分離など存在しない、存在なのだ。



けれど、分離しているような感覚になれるように

わざと、記憶を消して、生まれてきている。





私、を知る





それだけが、この世の理由だ。








今、絵本を描いている。

これも、私を知る、その1つ。




なんで、絵本なんだろう。

つくづく思う。



が、昔からなぜか

『絵本作家になる』

と、口から飛び出すのだ。



理由は、なってから知ればいい。

今は、衝動に従って

ただ、作ろう。





疑似体験のある、絵本の世界。

子どもが『これ、欲しいんだよね』って言ってくれる絵本。

そんな絵本を、作ろう。















2019年3月13日水曜日

エネルギーの変換点。

ちょっと前まで、その情報ばかりをとってたのに、

急に、エネルギーが変わった。




あ、終わった。




そう、静かに、感じた。




私は理路整然と言葉を紡ぐことは出来ないかもしれないけど

虚栄心など投げ捨てた、裸の言葉は紡げるかもしれない。




自分に集中。

自分に集中。

自分に集中。




全て、意図して起こっている。




自分に集中。

自分に集中。

自分に集中。




自分の音を、世界に放つ。

2019年3月12日火曜日

自分に恋をした日

あれだけ自信がなかったはずなのに、
ある日、急に自分の書く文章が好きになった。

あれだけ自信がなかったのに、
ある日、急に自分の描いた絵が好きになった。

きっと、ある日。

私は、私の人生に恋をしたんだと思う。




誰も知らないこの場所は、

私と二人きりの場所。

静かで穏やかなこの場所で、

きっと、私は私に恋をした。



魂の状態だった自分が、自分を選んで生まれてきたんだもの。

そりゃ、好きになるよね。


やっと、この時がきたんだ。


自分からの応援を力に変えて、私は、私を、この世に放つ。

















2019年3月11日月曜日

大切な場所

なんで、このブログを始めたのか

もう、思い出せない。


広告ばかりのアメブロも

自己主張と承認欲求が渦巻くインスタと

他人の言動に足を引っかけようとしてる、見えぬ足が無数に散らばるTwitterには

もう、本当の私の居場所は、ない。



久しぶりに読み返した“私”のブログは

とても気持ちがよかった。

文章に、とても共感した。

だって、私が書いたんだもの。

でもね、不思議と

今の私じゃ、書けないような文章が

そこにあって、ハッとした。



どんな気持ちで、書いたんだろう。

ただひたすらに、アウトプットが気持ち良くて


いつだって、ここに居る私は

川の流れのように、豊かに溢れるその思いを

ただただ、流し続けている。





お父さんが、死んだ。

あれは確か、2年前。

私のお父さんは、死んだんだ。


死に顔は、想像通りだった。

何も、怖くない。

もし母が死んだなら、

怖くて怖くて仕方ないだろう。

想像だって、出来やしない。

でも、父の死に顔は怖くなく、そして静かに【想像通り】だったのだ。



お父さんが、一人きりで暮らした山小屋は

猫のおしっこの臭いが、空間全体を埋め尽くしていた。

家族が去った父に残った、唯一の家族が、猫だった。

その猫も去った父の家には、自動餌やり機が置いてあった。

父が死んでもなお、父の帰りを待っている野良猫が一匹、こちらを警戒しながら眺めていたっけ。

あのね、お父さん、死んだんだよ。

全てを知っている猫は、黙ったままこちらを見つめ、去っていった。

お父さん、あなたは、この人生、楽しかったのですか?

お父さんが寝ていたベットを取り囲むように、家族の写真があちこち飾られていた。

私とお姉ちゃん。家族の集合写真。お母さんの両親。伯母さんとお父さんとお姉ちゃんと私。お墓。どれも、昔のものだった。

時が止まった家族写真の中に、1つだけ、新しい写真があった。

いつしか私が送った、私の息子の写真だった。

息子が、リンゴを食べて笑っているその写真だけが、新しく時を刻んでいたのだった。

私が出来た親孝行は、それだけだ。

でも、それだけで充分よくやった、と心のどこかで思っている。

父の止まった時間を、ほんの少しだけ、進めることが出来たから。




来週、私は、父の生まれ育った土地へ行く。

白くて、寒くて、広くて、淋しい場所。

私のたくさんのご先祖様が居るはずのその土地は、私も昔から大好きな土地なのに、思い返すとなぜかとても淋しいのだ。

楽しい想い出が、あるはずなのに。

白いあの街は、いつだって、泣いている。



もしも私に『使命』があるなら。

この物語を、人に伝えることが、それなんだと思う。

溢れるように沸き上がる感情と言葉を、心もとない脳みその皺を頼りに進んで行く。



孤独な作業だけど、この物語に触れている間は、その間だけは、私は父と一緒に居られる。

だから私は、絶対にこの物語を完成させるだろう。

父の魂が、しっかりと光に還っていけるように。

私は、あゆむことをやめない。

ここに、父と母がくれた、命があるから。