2019年12月23日月曜日

いつもの調子で

私は、私の道をいけばいい。


っというか、どうせ人は、自分の道しか歩けないのだから、

さっさと諦めて歩き出せばいいのだ。


人と違うことを気にしたり、人と揃えようと必死になったり。

人を基準に生きることを、早々に辞めればいいだけなのだ。


こんなことを言うことすら、本当はもの凄く恥ずかしい。

だって、私の好きな人達は、みな自分に夢中で生きているから。

こんなにも人のことを気にして生きてしまっている私は、なんて狭い世界で生きてしまっているんだろう、と、ものすごく恥ずかしく、惨めな気持ちになる。


でも、気付けたら、気付けただけで全てが変わる。

変わっていこうと、頑張る自分は、好きなんだ。


散らかってたって、いいじゃないか。

進むことこそ、大切なんだ。





















2019年10月24日木曜日

どこか一カ所


人生という名の、広大なフィールドに

どこか一カ所、心の底からくつろげる場所があれば


人は、生きられると想う。




その“場所”は、今存在しなくとも、

過去、未来、どんな場所でもよいから

どこかに一カ所、ソレがあれば、生きて行けるんだ。




例えばそれは、




おじいちゃんが撫でてくれた、頭の感触とか

その時香っていた、つつじの甘い匂いとか

おばあちゃんの優しい眼差しとか

お母さんの膝枕の温もりとか

お父さんの人懐っこい笑顔とか




それは、誰だって、何だってよくて。



お肉屋さんのおじいちゃんおばあちゃんの優しさだったり

酒屋さんの面白い会話だったり

八百屋さんの威勢の良い声だったり



友だちと見つめ合い通じ合った瞬間の喜びだったり

夢中で魚を追う、真剣さだったり

胸を満たす、あの日の夕陽だったり




自分の人生の中に、

宝物はもうすでにたくさん在って



それは無限に引き落とせる貯金のようで

実は記憶は、億万長者だったりするのだ。




どこか、一カ所


たった、一カ所



それだけで、人の人生が変わるなら


一カ所くらいなら、

今居る目の前の人と一緒に、創造できると想うんだ。




愛に気付くまで、

愛は何度も、問いかけてくる。



愛はいつもそこで、

優しく、在り続ける。





今日というこの瞬間にも、


心憩える“瞬間”が、

世界にたくさん、産まれますように。




















2019年10月16日水曜日

表現は瞑想

自由な表現は

瞑想のように思う


世界を信用することは

自分を信用することだ


世界にまた優しくなれたら

自分にまた優しくなれる


私は表現を愛する

私は自由を愛する


それは

どこまでも広く広がる世界のお話

2019年10月10日木曜日

新しいターンに突入

昨夜、前の晩にたくさん仕込んでいたおでんが全滅した。


夜は冬の寒さだったから、油断して外に出してたからだ。



あちゃーーーーーーーってなって、チーーンってなった。





それから色々重なって、


あっという間に、まっくろくろすけになっていた。




たくさん考えて、たくさん動いていると思っていても、


現実が何も変わっていない空しさよ。。。


っと、途方に暮れそうにもなったが、



私は今日も今日とて、生きている。







私の命を運営させるために

犠牲を引き受けてくれた命達のためにも




もっとやらな!!!

と、珍しくやる気本気モードに突入した、新しいターン。



ここから、どんな音色が産まれてくるのか


楽しみである。




2019年9月20日金曜日

手前味噌とはこのことか

手前味噌、なんて言葉

普段なかなか口にしないけど。


この場所の私の言葉は、

とても癒される。


これが、世に言う

手前味噌、か。


ならば、喜んでお味噌を仕込もう。

心から気持ち良くそう思うほどに、

自分の心から、まっすぐと溢れる言葉達が好きだ。



世界一周の旅を終えた旅人が、

自分の生まれ育った土地に帰ってくるかのように

ここ数年、ずっと旅をしてきたが、


やっと今、

自分がはじめに居た場所へと帰ってきた。


世界をぐるりと見渡して、

色んな音を聴き、

色んな価値観に触れ、

やっと、私は私の場所へと舞い戻ったのだ。


不思議。

とても不思議な感覚。


でも、私は自分にとって最高に居心地の良い場所を

本当は、知っているんだ。


外側に対して強く表現してきたものは去り、

内側に響いてきたものだけが残る世界。


嵐の後にある、目の前のキラキラした世界が、

今日も私を癒してくれる。




















2019年9月5日木曜日

ひょうたみさん

元気だろうか。


4年前?5年前?


浅草の、あの空間で

ひょうたみさんの唄を聞いた。



私は未だに、

海や空や空間を浄化したい時、

祈りたくなった時、

ひょうたみさんの唄を、口ずさむ。




この場所が

愛に、愛に、

満ち満ち溢れますように。。。


この魔法の唄は、

ホ・オポノポノのように

効果覿面で、

目の前の“今ここ”を癒す。




ライブへ行った4、5年前の私は、

赤ちゃんを産み、初めて夜に1人で外出したのだ。


赤ちゃんといっても、息子はもう2歳くらいで、

いつでも出れたはずなのに。



あの夜のひと時の外出は、

ふわふわしていて、夢の中みたいで

肩にのっていた、重い重い漬物石をどけられたような体感で。



嫁も、母も、妻も

よくわからない肩書きみたいな在り方を、

置いてこられた、体験だった。



浅草で、大好きな仕事をし、

楽しいお客さんと日々出会い

旦那さんとも出会った。



旦那さんとの初デートは当たり前に浅草寺参拝だったし、

父と母が家庭をつくって初めて暮らした土地も浅草だ。


その所以で私の本籍地はずっと雷門の住所だったし、

浅草を思うと、ご縁が深くてめまいがしそうになる。



でも、間違いなくあの場所は

私にとっての大事な場所で、

沢山の“私”にとって、大切な場所なのだ。



今は、中国なのか日本なのかわからないくらい

中国人ばかりが歩いているけど、

それも、10年後はどうなっているのか

わからない。



そうやって、時代は変わり

でも、変わらずに在り続けるのは

その土地を愛する、純粋な恋心だ。




ひょうたみさんのチャントを聞いて、

心の奥が震えた。

来週、やっと

古典フラのチャントを習いにゆけることに。



私に、あの魔法は使えるのだろうか。

考えただけで、身震いしてしまうな。




なんのご縁か、

私はひょうたみさんと同じタイミングで、

山の中へと引っ越しをした。

畑を耕し、庭をつくった。



まだ、東京に住んでいて

酸素が足らない金魚みたいに

あっぷあっぷで生きていた頃。



偶然見つけたひょうたみさんのブログをみて

強烈に思ったんだ。


「なんで、私はココにいないんだろう」


宮古島の、溢れる豊かさを映した写真たちは

色濃く生命に溢れている写真たちは

真っすぐに、純粋な光となって

私の胸を、簡単に貫いた。



あの時の音を

いま

なぜか、思い出す。


あの時の光を

いま

なぜか、思い出す。




あそこに、私がいるんじゃないか。

あそこに、大好きな私がいるんじゃないか。



思い返すと、わかる。


私は“わたし”を探し始めた頃から

“わたし”を失い始めたことに。



純粋な、心の反応をみて

私は、心を満たしてきていたんだ。



いま、理想に描いた山暮らしをし、

いつの間にか、傲慢になっていた心に気付く。


あさましい

はずかしい


穴があったら入りたい、とはこのこと。



自我を捨て、


真我を生きよ。



これに、尽きる。



































2019年8月22日木曜日

言葉を理解してもらうというおこがましさ

ダメだ、、、書けない。

人目があると、どうしても自分の言葉が紡げない。

人目の威力の凄まじきこと。

それは『こうみられたい』などの自意識が生むものなのか。



私は、この場に綴られた文章が好きだ。

それは、ハッピーちゃんの書く文章に似ている。


内側に潜って、ただ言葉を連ねるだけの文章。

それが、私は大好きだ。


でも、相手がいる場所で、それをして

「さぁ、私を好きになりなさい」ってのもおこがましい話で。

そもそも、この世界には私しか居ない。



私は、もの凄く文章の才能がある。

でも、所詮この世は才能があっても活かす場がなければ

才能も持ち腐れるというもの。


世にだせるツールはあるのだから、

それを利用しないでどうする。



さぁ私よ、月商100万円の世界に


いってらっしゃい!!!



自分意識、の美しさ

自分意識しか存在しないこの場所は、

とても魅力に満ちている。


言葉は泉のように溢れ、

私の全身を潤してゆく。


私は、私の源泉に

いつだって触れていたいのだ。


画像をペタペタと貼り、

誰かに何かを買わせるためのブログは

なんて、つまらないのだろう。


自分が満ちて、自分が喜ぶ文章に

いつだって触れていたいのに。


そして、いつだってここに書くような

むき出しの言葉が何よりも美しいと

私は、知ってしまっているのだった。

2019年7月31日水曜日

2つの目線

する・される

やる・やられる

売る・買う

与える・受け取る





この、地球という次元は

表裏一体、完璧な陰陽で出来上がっている。



観測する者がいれば、観測される者がいる。

これは、絶対的なこの地球の物理次元を生きるルールなのだ。




人は、すぐに眠る。

“己が一体、どんな存在なのか”

気付いては、またすぐに眠ってしまう。



忘却の星、地球。

この世を生きるには、多少のコツがいるようだ。



今日は、息子にひどいことを言った。

息子は、ひどいことを言われた。


脳みそか神経か、

息子は、何かしら“普通”と違う成長スピードで、

“普通”に合わせて教えようとして、

今日の私は、壊れたのだ。



諦めるでもなく、手放すでもなく。

ただ、受け入れる。

そんなきれいごと、呪い殺したくなる。

でも、進むしかない。



そんな時、ふと思い出す。

この世は【表裏一体である】ということ。


息子のことを、どうしようかと

母親目線でしか考えてなかったが、

よくよく思えば、

私が息子なら、どうして欲しいか、を考えれば

解決の糸口は見えるのではないだろうか。




家もそう。

今、過去の私が心から望んでいた環境で暮らしている。

でも、その環境はえらく“手間”がかかるのだ。


自然に囲まれた家。

手入れをしなければ、すぐに家中かびてしまい

こまめに草刈りしなければ、庭はジャングルになる。




【あの時】の私が望んでいたから、と思っていたが、

全く違う望みを抱いたって、いいじゃないか。



手入れが楽で、

いつも清潔で入れて

居心地の良い家。

しかも、きちんと庭もあり、

自然と触れ合うことも出来る家。



たくさん望んでいいのに、

望むことすら遠慮している自分に気付いた。



多くを望め。

望みは希望だ。


本当の奥底から湧く望みは、美しい!!!



















2019年6月23日日曜日

“自分”の解放

始まりは、性だった。

そこから、私の【私を生きる】という道がスタートしたんだ。

なのに、そこは人に見せられないって蓋をして

表現を避けていた。


私が私をごまかすことは無理で、

なんとなく力が出なかった理由は、一番のコアを押してなかったからで


今、私の“本当の私”を生きる時間が

始まろうとしている。


逃げない。

もう、私から逃げない。

まっすぐ、歩いて行こう。

2019年5月26日日曜日

働く、ということ

働く、ということ。



定義は人それぞれだが、


私の中の【働く】は、その対価として現金を受け取ること。


それが、絶対条件だ。




主婦をしてても、労働に対する対価、ではない。

そもそも旦那さんの給料を預かる、という

なんとも愛情保証的なあやふやな部分がある。

それはさておき。



私は、息子を妊娠した7年前から

仕事という仕事をしていない。


今もなお、布ナプキンのお店をやってはいるが、

お客さんというお客さんはそんなに来ず、

売り上げもほんのわずか。

無い月だってあるくらいだ。

(宣伝らしい宣伝をしていないから、当たり前なのだが)




自分の時間を切り売りするパートをやれば、

時給1000円×5時間で、日給5000円はもらえる。

日給5000円×週三日の労働で、週給15000円だ。

それが4週だから、6万円。



私の人生の月、水、土曜日の10時〜3時までを売りに出せば、

月に6万円貰える。



労働の対価、として。







そろそろいい加減、自分の収入が欲しい。

だけど、やっぱりどんなにパートの検索をしても、

身体も心も、雇われたくない!と叫んでいる。



自分ビジネスを本腰入れてやれば、

それくらい、すぐに稼げることを、身体は知っている。


一時間に、一枚の布ナプキンを売れば、

私は雇われなくて済むのだ。



人に気を使い、立ちっぱなしで足をむくませることもせずに居られる。



【私】を、護ろう。

そして、【私】を出してあげよう。

もっと、生き易くしてあげよう。



私が動けば、私は輝くことを知っている。


あとは、やるだけ、なんだ。


頑張れ!!私!!!


















2019年3月23日土曜日

それはとても孤独な場所。

今週は、5日間家族に会ってない。


ただそれだけで、今の私は虚無感がすごい。




いやだな、って思った。



誰かがいないと成立しない人生なんて



いやだな、って思った。




12歳の冬、両親が離婚した。



子ども4人は、母と一緒にアパートへ引っ越し

猫3匹と、膨大な想い出の品々は

父と一緒に、家族が一緒に暮らしていた家に残った。



元々離婚の原因が父のお金や無責任な言動にあったので、

家賃15万円の家には住み続けることが出来ず

父もすぐに、東京の反対側にある小さなアパートへと引っ越した。




昨日、一人きりの家で

ぽっかりと何するわけでもなく過ごしていたら

自分の存在意義がぼやけてしまって。



いつの間にか、

子どもと旦那さんのお世話をするのが一番の仕事になってしまっていて


自分自身が今一番やりたいチャレンジは、

ストーリーが全く浮かばず、このままではもう間に合わないと絶望し

何も出来ず、何も達成出来ないでここに生きている私は

一体、なんのために生きているんだろう、と空しくてたまらなくなった。



この、悪魔のささやきにも似た虚無感の音色は、

子どもやパートナーがいると、その綺麗で充実した音が大きく響き

すぐにかき消されてしまう。

だけど、それはずっと鳴っているんだ。




あの日、私たちが住む家の方角を橋の上から眺めていた父には、

この残酷なまでに澄み切った虚無感の音色が、大きなベルの音のように聴こえていたんではないだろうか。



自分は一体、なんの為に生きているんだろう。

絵本が描きたいのに、まったく描けないんだ。

自分に感じた無限の可能性は、ただの白昼夢か。



笑い合い、励まし合う一流のクリエイター達。

彼らもまた、こんな孤独な作業を繰り返してきたのか。

でも、彼らには、才能がある。

自分自身に、深く潜る才能が。

そしてそれは、自分にも充分あることを知っている。

あるのに使えてないという、不甲斐なさ過ぎる現実がただここにあるのだ。



才能は、あるほうが残酷だと思った。



使い切れずに持て余した才能は、腐るのも早い。

ただ、楽しめばいいだけなのに。




お父さんが、死ぬ前に彫っていた版画が見たいな。

どんな絵を、どんな線を、彫っていたんだろう。

お父さんの創作は、きっと私が思っているような創作じゃないかもしれない。

だけど、お父さんが残した言葉のどこかに

お父さんが見つけた“真実”がまぎれているような気もするんだ。





よーーーーーーーーーーーい



どん!!!










































2019年3月15日金曜日

疑似体験

人は、なぜ物語を読むのだろう。

人は、なぜドラマを観るのだろう。

人は、なぜ

自分以外の人生なのに、涙を流すことが出来るのだろう。




この世に生まれてきた、唯一の理由。

それは

“わたし”とは、何か

を、体験を通して学ぶためだ。



そのために、陰陽の完璧なコントラストが存在する

地球に生まれてきたんだ。



“わたし”は、他人を通してしか

“私”を知ることが出来ない。



私とは、

元々【大いなる源】であり

分離など存在しない、存在なのだ。



けれど、分離しているような感覚になれるように

わざと、記憶を消して、生まれてきている。





私、を知る





それだけが、この世の理由だ。








今、絵本を描いている。

これも、私を知る、その1つ。




なんで、絵本なんだろう。

つくづく思う。



が、昔からなぜか

『絵本作家になる』

と、口から飛び出すのだ。



理由は、なってから知ればいい。

今は、衝動に従って

ただ、作ろう。





疑似体験のある、絵本の世界。

子どもが『これ、欲しいんだよね』って言ってくれる絵本。

そんな絵本を、作ろう。















2019年3月13日水曜日

エネルギーの変換点。

ちょっと前まで、その情報ばかりをとってたのに、

急に、エネルギーが変わった。




あ、終わった。




そう、静かに、感じた。




私は理路整然と言葉を紡ぐことは出来ないかもしれないけど

虚栄心など投げ捨てた、裸の言葉は紡げるかもしれない。




自分に集中。

自分に集中。

自分に集中。




全て、意図して起こっている。




自分に集中。

自分に集中。

自分に集中。




自分の音を、世界に放つ。

2019年3月12日火曜日

自分に恋をした日

あれだけ自信がなかったはずなのに、
ある日、急に自分の書く文章が好きになった。

あれだけ自信がなかったのに、
ある日、急に自分の描いた絵が好きになった。

きっと、ある日。

私は、私の人生に恋をしたんだと思う。




誰も知らないこの場所は、

私と二人きりの場所。

静かで穏やかなこの場所で、

きっと、私は私に恋をした。



魂の状態だった自分が、自分を選んで生まれてきたんだもの。

そりゃ、好きになるよね。


やっと、この時がきたんだ。


自分からの応援を力に変えて、私は、私を、この世に放つ。

















2019年3月11日月曜日

大切な場所

なんで、このブログを始めたのか

もう、思い出せない。


広告ばかりのアメブロも

自己主張と承認欲求が渦巻くインスタと

他人の言動に足を引っかけようとしてる、見えぬ足が無数に散らばるTwitterには

もう、本当の私の居場所は、ない。



久しぶりに読み返した“私”のブログは

とても気持ちがよかった。

文章に、とても共感した。

だって、私が書いたんだもの。

でもね、不思議と

今の私じゃ、書けないような文章が

そこにあって、ハッとした。



どんな気持ちで、書いたんだろう。

ただひたすらに、アウトプットが気持ち良くて


いつだって、ここに居る私は

川の流れのように、豊かに溢れるその思いを

ただただ、流し続けている。





お父さんが、死んだ。

あれは確か、2年前。

私のお父さんは、死んだんだ。


死に顔は、想像通りだった。

何も、怖くない。

もし母が死んだなら、

怖くて怖くて仕方ないだろう。

想像だって、出来やしない。

でも、父の死に顔は怖くなく、そして静かに【想像通り】だったのだ。



お父さんが、一人きりで暮らした山小屋は

猫のおしっこの臭いが、空間全体を埋め尽くしていた。

家族が去った父に残った、唯一の家族が、猫だった。

その猫も去った父の家には、自動餌やり機が置いてあった。

父が死んでもなお、父の帰りを待っている野良猫が一匹、こちらを警戒しながら眺めていたっけ。

あのね、お父さん、死んだんだよ。

全てを知っている猫は、黙ったままこちらを見つめ、去っていった。

お父さん、あなたは、この人生、楽しかったのですか?

お父さんが寝ていたベットを取り囲むように、家族の写真があちこち飾られていた。

私とお姉ちゃん。家族の集合写真。お母さんの両親。伯母さんとお父さんとお姉ちゃんと私。お墓。どれも、昔のものだった。

時が止まった家族写真の中に、1つだけ、新しい写真があった。

いつしか私が送った、私の息子の写真だった。

息子が、リンゴを食べて笑っているその写真だけが、新しく時を刻んでいたのだった。

私が出来た親孝行は、それだけだ。

でも、それだけで充分よくやった、と心のどこかで思っている。

父の止まった時間を、ほんの少しだけ、進めることが出来たから。




来週、私は、父の生まれ育った土地へ行く。

白くて、寒くて、広くて、淋しい場所。

私のたくさんのご先祖様が居るはずのその土地は、私も昔から大好きな土地なのに、思い返すとなぜかとても淋しいのだ。

楽しい想い出が、あるはずなのに。

白いあの街は、いつだって、泣いている。



もしも私に『使命』があるなら。

この物語を、人に伝えることが、それなんだと思う。

溢れるように沸き上がる感情と言葉を、心もとない脳みその皺を頼りに進んで行く。



孤独な作業だけど、この物語に触れている間は、その間だけは、私は父と一緒に居られる。

だから私は、絶対にこの物語を完成させるだろう。

父の魂が、しっかりと光に還っていけるように。

私は、あゆむことをやめない。

ここに、父と母がくれた、命があるから。