2021年2月23日火曜日

言葉の重さ

 私は、西加奈子さんが好きだ。

そして私は、小さい頃から、好きな人の真似をするのが好き。

っということで、昨日から私は、トニ・モリスンの『青い眼がほしい』を読んでいる。

西加奈子さんが、『まにまに』というエッセイでおススメしていたし、ヴォーグのYouTubeでも紹介していたから。

好きな人、尊敬する人がいつの日か感銘を受け、脈々と影響を受け続けているものがあるならば、見ない理由はないではないか。

そして、今、頭が最高に重い私がいる。

ふと目を庭にやると、ピンク色の可愛い花をたくさんつけた、大きな梅の木が2本あって、それはもう見事な、「春」という言葉を完璧に具現化した風景が並んでいる。

なのに私は、子供とも大人ともつかない、宙ぶらりんで不安定な年齢の子供特有の憂鬱をたっぷり吸い込み、黒人という人種を取り巻く、暴力的で排他的な空気の中で生まれてしまう悲しい景色を、どうすることもできない場所で見つめているのだ。

そもそも、そこまで本を読んでこなかった人生なので、アメリカ文学自体に触れたのが"長靴下のピッピ"以来だし、それを読んだのは小学校の時だった。

だからなのか、とにかく、言葉が重い。

モリスンの放つ世界観は、西さんがおススメするだけあって、それこそもう言葉にできないほどの濃厚さを持って、ジュー!っと言葉が胸に焼き付いてくるくらいの世界観だ。

そしてそこに、モリスンや登場人物達の、切実さや、自分ではどうすることもできない心情が、個体とも液体ともつかないくらいにふやけたオートミールのように、ドロドロに重く、ただそこに在る。

これが、文学的にどんなに素晴らしいかを語るには、あまりにも浅はか過ぎるので控えるが、"言葉の力"というものが、全人類に開けている大きな希望の光であることは、それだけはしっかりと掴んだ。

境遇も環境も、何もかもが違うピコーラと私が、分け隔てなく持っているのは、言葉を動かす力、だ。