2019年10月10日木曜日

新しいターンに突入

昨夜、前の晩にたくさん仕込んでいたおでんが全滅した。


夜は冬の寒さだったから、油断して外に出してたからだ。



あちゃーーーーーーーってなって、チーーンってなった。





それから色々重なって、


あっという間に、まっくろくろすけになっていた。




たくさん考えて、たくさん動いていると思っていても、


現実が何も変わっていない空しさよ。。。


っと、途方に暮れそうにもなったが、



私は今日も今日とて、生きている。







私の命を運営させるために

犠牲を引き受けてくれた命達のためにも




もっとやらな!!!

と、珍しくやる気本気モードに突入した、新しいターン。



ここから、どんな音色が産まれてくるのか


楽しみである。




2019年9月20日金曜日

手前味噌とはこのことか

手前味噌、なんて言葉

普段なかなか口にしないけど。


この場所の私の言葉は、

とても癒される。


これが、世に言う

手前味噌、か。


ならば、喜んでお味噌を仕込もう。

心から気持ち良くそう思うほどに、

自分の心から、まっすぐと溢れる言葉達が好きだ。



世界一周の旅を終えた旅人が、

自分の生まれ育った土地に帰ってくるかのように

ここ数年、ずっと旅をしてきたが、


やっと今、

自分がはじめに居た場所へと帰ってきた。


世界をぐるりと見渡して、

色んな音を聴き、

色んな価値観に触れ、

やっと、私は私の場所へと舞い戻ったのだ。


不思議。

とても不思議な感覚。


でも、私は自分にとって最高に居心地の良い場所を

本当は、知っているんだ。


外側に対して強く表現してきたものは去り、

内側に響いてきたものだけが残る世界。


嵐の後にある、目の前のキラキラした世界が、

今日も私を癒してくれる。




















2019年9月5日木曜日

ひょうたみさん

元気だろうか。


4年前?5年前?


浅草の、あの空間で

ひょうたみさんの唄を聞いた。



私は未だに、

海や空や空間を浄化したい時、

祈りたくなった時、

ひょうたみさんの唄を、口ずさむ。




この場所が

愛に、愛に、

満ち満ち溢れますように。。。


この魔法の唄は、

ホ・オポノポノのように

効果覿面で、

目の前の“今ここ”を癒す。




ライブへ行った4、5年前の私は、

赤ちゃんを産み、初めて夜に1人で外出したのだ。


赤ちゃんといっても、息子はもう2歳くらいで、

いつでも出れたはずなのに。



あの夜のひと時の外出は、

ふわふわしていて、夢の中みたいで

肩にのっていた、重い重い漬物石をどけられたような体感で。



嫁も、母も、妻も

よくわからない肩書きみたいな在り方を、

置いてこられた、体験だった。



浅草で、大好きな仕事をし、

楽しいお客さんと日々出会い

旦那さんとも出会った。



旦那さんとの初デートは当たり前に浅草寺参拝だったし、

父と母が家庭をつくって初めて暮らした土地も浅草だ。


その所以で私の本籍地はずっと雷門の住所だったし、

浅草を思うと、ご縁が深くてめまいがしそうになる。



でも、間違いなくあの場所は

私にとっての大事な場所で、

沢山の“私”にとって、大切な場所なのだ。



今は、中国なのか日本なのかわからないくらい

中国人ばかりが歩いているけど、

それも、10年後はどうなっているのか

わからない。



そうやって、時代は変わり

でも、変わらずに在り続けるのは

その土地を愛する、純粋な恋心だ。




ひょうたみさんのチャントを聞いて、

心の奥が震えた。

来週、やっと

古典フラのチャントを習いにゆけることに。



私に、あの魔法は使えるのだろうか。

考えただけで、身震いしてしまうな。




なんのご縁か、

私はひょうたみさんと同じタイミングで、

山の中へと引っ越しをした。

畑を耕し、庭をつくった。



まだ、東京に住んでいて

酸素が足らない金魚みたいに

あっぷあっぷで生きていた頃。



偶然見つけたひょうたみさんのブログをみて

強烈に思ったんだ。


「なんで、私はココにいないんだろう」


宮古島の、溢れる豊かさを映した写真たちは

色濃く生命に溢れている写真たちは

真っすぐに、純粋な光となって

私の胸を、簡単に貫いた。



あの時の音を

いま

なぜか、思い出す。


あの時の光を

いま

なぜか、思い出す。




あそこに、私がいるんじゃないか。

あそこに、大好きな私がいるんじゃないか。



思い返すと、わかる。


私は“わたし”を探し始めた頃から

“わたし”を失い始めたことに。



純粋な、心の反応をみて

私は、心を満たしてきていたんだ。



いま、理想に描いた山暮らしをし、

いつの間にか、傲慢になっていた心に気付く。


あさましい

はずかしい


穴があったら入りたい、とはこのこと。



自我を捨て、


真我を生きよ。



これに、尽きる。



































2019年8月22日木曜日

言葉を理解してもらうというおこがましさ

ダメだ、、、書けない。

人目があると、どうしても自分の言葉が紡げない。

人目の威力の凄まじきこと。

それは『こうみられたい』などの自意識が生むものなのか。



私は、この場に綴られた文章が好きだ。

それは、ハッピーちゃんの書く文章に似ている。


内側に潜って、ただ言葉を連ねるだけの文章。

それが、私は大好きだ。


でも、相手がいる場所で、それをして

「さぁ、私を好きになりなさい」ってのもおこがましい話で。

そもそも、この世界には私しか居ない。



私は、もの凄く文章の才能がある。

でも、所詮この世は才能があっても活かす場がなければ

才能も持ち腐れるというもの。


世にだせるツールはあるのだから、

それを利用しないでどうする。



さぁ私よ、月商100万円の世界に


いってらっしゃい!!!



自分意識、の美しさ

自分意識しか存在しないこの場所は、

とても魅力に満ちている。


言葉は泉のように溢れ、

私の全身を潤してゆく。


私は、私の源泉に

いつだって触れていたいのだ。


画像をペタペタと貼り、

誰かに何かを買わせるためのブログは

なんて、つまらないのだろう。


自分が満ちて、自分が喜ぶ文章に

いつだって触れていたいのに。


そして、いつだってここに書くような

むき出しの言葉が何よりも美しいと

私は、知ってしまっているのだった。

2019年7月31日水曜日

2つの目線

する・される

やる・やられる

売る・買う

与える・受け取る





この、地球という次元は

表裏一体、完璧な陰陽で出来上がっている。



観測する者がいれば、観測される者がいる。

これは、絶対的なこの地球の物理次元を生きるルールなのだ。




人は、すぐに眠る。

“己が一体、どんな存在なのか”

気付いては、またすぐに眠ってしまう。



忘却の星、地球。

この世を生きるには、多少のコツがいるようだ。



今日は、息子にひどいことを言った。

息子は、ひどいことを言われた。


脳みそか神経か、

息子は、何かしら“普通”と違う成長スピードで、

“普通”に合わせて教えようとして、

今日の私は、壊れたのだ。



諦めるでもなく、手放すでもなく。

ただ、受け入れる。

そんなきれいごと、呪い殺したくなる。

でも、進むしかない。



そんな時、ふと思い出す。

この世は【表裏一体である】ということ。


息子のことを、どうしようかと

母親目線でしか考えてなかったが、

よくよく思えば、

私が息子なら、どうして欲しいか、を考えれば

解決の糸口は見えるのではないだろうか。




家もそう。

今、過去の私が心から望んでいた環境で暮らしている。

でも、その環境はえらく“手間”がかかるのだ。


自然に囲まれた家。

手入れをしなければ、すぐに家中かびてしまい

こまめに草刈りしなければ、庭はジャングルになる。




【あの時】の私が望んでいたから、と思っていたが、

全く違う望みを抱いたって、いいじゃないか。



手入れが楽で、

いつも清潔で入れて

居心地の良い家。

しかも、きちんと庭もあり、

自然と触れ合うことも出来る家。



たくさん望んでいいのに、

望むことすら遠慮している自分に気付いた。



多くを望め。

望みは希望だ。


本当の奥底から湧く望みは、美しい!!!



















2019年6月23日日曜日

“自分”の解放

始まりは、性だった。

そこから、私の【私を生きる】という道がスタートしたんだ。

なのに、そこは人に見せられないって蓋をして

表現を避けていた。


私が私をごまかすことは無理で、

なんとなく力が出なかった理由は、一番のコアを押してなかったからで


今、私の“本当の私”を生きる時間が

始まろうとしている。


逃げない。

もう、私から逃げない。

まっすぐ、歩いて行こう。