耳をすませばが、好きだ。
原作である柊あおいの漫画版も好き。
あの、10代前半にしかない、世界に向けた胸の高揚感がとにかく好きなのだ。
といいつつ、自分が10代前半だった時は、あまりにも自分の心が多感になりすぎていて
『早く、目の前の物事に対して平然としていられる、大丈夫な私になりたい』
っと切に願っていたことを今でもよく覚えている。
そう願わずにはいられないほど、10代前半は心がむき出しなのだ。
色んなことを一通り経験し終えると
『なんだ、世界はこんなものか』
っと、急に色んなことが平気になる。
そうすると、あの時あんなにも世界に向けて緊張していた気持ちが
急に恋しくなってくるから不思議だ。
あんなにも心から願っていた“平然”は、実は世界に対する“落胆”だったのかもしれない。
つまり、10代前半の私は、まだ世界に対して大いなる期待に胸が膨らんでいたのだ。
34歳になった今でも、私はこの世界のほんの一部分しか知らない。
今ベランダから侵入してきたアリが、この家の全容を把握するのが恐らく不可能であるのと同じくらいの比率で、私はこの世界をきっと一生かかっても把握出来ないだろう。
それどころか、砂糖粒でも落ちてないかと足元ばかりをうろつくアリと同じく、自分の足元ばかりをうろついて餌を探しては、巣に戻ってせっせと卵を育てるのだろう。
生活とは、そうゆうものだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿