"シェアすることは、愛を配ること"
色んな情報を鵜呑みにしたのは私。だけど、それを生き方にしてしまっていた時期も過ぎて、私はこれから一体何が出来るだろうか、っという状態で空を見る。
広い空。自由な雲。それは、姿を現すも表さないも自由な世界。
何かを伝えたいときだけ、雲という物体に宿り姿を現す存在もいて、それはまるでインターネットの世界と同じだと気付く。
私が自由に私の言葉だけで語れたら、どれだけ自由なんだろう。
そう思うけど、なかなか自由に飛び回れない。
鳥かごの中に居すぎて、飛び方を忘れたインコみたいだ。
家の中なら飛べるけど、大空を羽ばたきたいとも思うけど、外は大きい鳥もいて、寒くて暑くて安全で安心な餌や水もない。
そう教え込まれて体に刻まれているインコでも、飛んで行ってしまうことがあるように。
身体には「自由に飛び立ちたい」っという願望が元々備わっているのかもしれない。
愛玩具であることから卒業し、自分で生きる道へ。
自分が窓すらも開けられる身なのに、すっかり調教されて教育されてしまっているのように感じ、あぁ私はインコではなく従順な犬だったのか!っということに気づく。
そういえば、昔からゴールデンレトリバーみたいだと言われていたっけ。
自由に放浪することよりも、誰かに飼われた方が幸せに感じるように、もうそのように出来上がってしまっているんだ。
主人を自分にすればいい。ただそれだけのこと。
自分に従い、自分で生きろ。
それは例え飼われた状況の犬でも一緒だ。
さぁ、立ち上がって、自由な世界へ愛を放とう。
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