洗濯物を干していて、ここ数日、なんとなく頭に浮かんでいたピースが綺麗にハマった。
あぁ、だから生きるのか、と。
バリバリ音をたてるように生きていた頃の私は、想像もしていないだろう
頭が壊れるくらい考えて
周りの人が、絶賛してくれるような『答え』でも
これは、違う。と。
絶対にだませない心だけが、いつまでも膨れっ面で。
答えを持たぬまま
偽物の『答え』をぶらさげて、身体と心を酷使することでごまかしていた、あの頃。
まさか、洗濯物を干している専業主婦が
その『答え』を、持っているなんて。
あの頃の私が聞いたら、間違いなく、認めないだろう
『体験するために、生きている』
きっと、理解出来ないだろうな。
昨日、髪の毛くらいの細さの紐を編み込んで、ブレスレットを作っていました。
大きな時間から見たら、人間の営みなんて、ほんとちっぽけで
砂に書いた曼荼羅のように
それは、残らず消えていくのに
なんで私は、こんなに細かい作業を、続けているのだろう
なんだか、ちょっと、むなしくなった。
そして、朝、洗濯物を干す私に降りてきた答え。
『体験するために、生きている』
自分の時間を、未だ見ぬ誰かにGIFTする
それは、ただ一つの真実を伝えるため
『存在の祝福』
私は、この言葉を、言葉と言葉ではない何かを使って、伝えていく。
そして、その行為に結びつく、全ての人生の体験は
ちっぽけで空しいものなんかではなく
大きく、美しく、素晴らしいものなのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿