2015年6月7日日曜日

それでも、生きる理由

洗濯物を干していて、ここ数日、なんとなく頭に浮かんでいたピースが綺麗にハマった。

あぁ、だから生きるのか、と。



バリバリ音をたてるように生きていた頃の私は、想像もしていないだろう

頭が壊れるくらい考えて

周りの人が、絶賛してくれるような『答え』でも

これは、違う。と。

絶対にだませない心だけが、いつまでも膨れっ面で。

答えを持たぬまま

偽物の『答え』をぶらさげて、身体と心を酷使することでごまかしていた、あの頃。




まさか、洗濯物を干している専業主婦が

その『答え』を、持っているなんて。


あの頃の私が聞いたら、間違いなく、認めないだろう



『体験するために、生きている』



きっと、理解出来ないだろうな。





昨日、髪の毛くらいの細さの紐を編み込んで、ブレスレットを作っていました。

大きな時間から見たら、人間の営みなんて、ほんとちっぽけで

砂に書いた曼荼羅のように

それは、残らず消えていくのに



なんで私は、こんなに細かい作業を、続けているのだろう

なんだか、ちょっと、むなしくなった。


そして、朝、洗濯物を干す私に降りてきた答え。



『体験するために、生きている』



自分の時間を、未だ見ぬ誰かにGIFTする

それは、ただ一つの真実を伝えるため


『存在の祝福』


私は、この言葉を、言葉と言葉ではない何かを使って、伝えていく。


そして、その行為に結びつく、全ての人生の体験は

ちっぽけで空しいものなんかではなく

大きく、美しく、素晴らしいものなのです。






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