2015年4月13日月曜日

秩父の想い出

東京で生まれ育った私の、身体が覚えている『自然』の感触。
そのほとんどが、ココで育まれたように想います。

秩父の奥地へ、20年ぶりの再会を果たしてきました。


1500万年前に生きてたもの達が眠る、ようばけ。
「ただいま!!!」って叫びたくなる。


小さなお母ちゃんが、たくさん遊ばせてもらった赤平川

を眺める、息子


20年も行かなかったのは、正式には、行けなくなった場所、で。

大人と子供の中間地点に、やっと足を踏み入れた頃
それまで育んでもらっていたあらゆる『場所』が、目の前からなくなったあの日。


久々の暖かい春の青空
満開の桜と燃える菜の花


20年ぶりに行ったそこは、変わらずそこにあったけど
20年という歳月を、胸一杯に感じずにはおれませんでした。



祈りをこめて、プレゼントした絵

ワイルドに咲き誇るたんぽぽたち

雨予報だったけど、ほとんど雨も降らず
土地に歓迎してもらえると、本当に嬉しい。


大地と自分との記憶

存在するってことは、常に交換し合うモノで。
交換した記憶は、存在する限り残るんだな。

小さな頃から、来れば必ず一緒に遊んでくれた桑の木
桑の実の味、なつかしい

贅沢な絨毯
息子も大満足で転げ回ってた


懐かしい柱時計の音と一緒に、気配を感じる。


今、自分の目の前のことを味わい尽くすのに精一杯で
全てがどうしようもなく刺激的で
頭の中には「楽しい」って文字しかなかった、あの時の私。


火ってどうすれば大きくなるの?
カエルって触っても死なないの?
芝刈りってこんな楽しいんだ!
木になってる実、そのまま食べていいの?

子犬みたいな、ほんともう、好奇心の塊。


ゴーーーーン、ゴーーーーン、ゴーーーーン


20年前と変わらないその音と一緒に
その塊が、ふわっと舞い降りてくる。




気付けば遠くにきたもんだ。

「楽しむ」という単純なことを、何度も立ち止まり、心して。
そうしなきゃ、すぐに忘れて、頭でっかちになってしまう。


このタイミングで、行けて良かった。
自分回帰の旅。


秩父よ、本当に、ありがとう。

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